2011年12月5日月曜日

天国に・・・

8月以来の投稿になります。大分期間が空いてしまいましたが、10月15日母が他界いたしました。
トータル5年にわたる闘病生活、治療の甲斐もなく天国へと旅立ちました。

「お疲れ様、そして有難う」

四十九日の法要も終わり、無事仏になったことを確信し、ブログを再開することになりました。

母の生涯の一場面を少し話します。

母は、祖母のお腹にいた時に、父親をなくし幼少期は大変苦労したようです。

祖父と祖母は同郷(宮城)、二人とも田舎町で育ち幼馴染。
お見合いが普通だった当時に大恋愛の末、めでたく結婚、そして東京へ赴任。

祖父は今世間を騒がせているW会長のいるY新聞社に勤務。
二人で新居を構え、東京の亀戸付近でに住んでいたそうです。
祖父は昔でいうハイカラな人?で、バイオリンを嗜んでいたそうです。

昔、俺がギターをはじめた時に、「おじいちゃんの血筋かね~」と母が話してました。

また、二人は今で言うラブラブ?で御近所が羨む夫婦だったとか・・・

そんなある日、Y新聞社の会社行事で千葉に海水浴に出掛けた祖父は、会社の同僚と遊びたい気持ちを抑え、アサリを愛する祖母の為に一生懸命採っていたそうです。

祖母は足が怪我しないようにと新しい足袋を用意し持たせました。

当時海水浴場には、馬洗いをする場所があってそこだけ深くなっていたようで、足を滑らせて溺れて命を落としてしまったのです。

警察や会社の同僚が必死の思いで捜したようですが見つかりません。
結局、1週間後に祖母の願いも叶わず遺体が見つかったそうです。

溺死なので誰なのかもわからない・・・
祖父に間違いないと判断したのは、足袋を履いていたこと、そして網に入ったアサリが腕に巻きついていた事だそうです。

祖母はお腹に母がいるなか、どんな気持ちだったのか・・・

祖母にはとても可愛がってもらいました。祖母は、俺とおなじ12月16日生まれ、命日は6月12日、今から10年ほど前にやはり病気で亡くなりました。

今頃、天国で叶わなかった親子(祖父・祖母・母)の団らんを楽しんでいるでしょう。

祖父が亡くなったあと、実家(嫁ぎ先)から宮城に帰って来いと説得されたようですが、祖母は断固として反対し、東京に残りました。

その後、母が生まれ祖母は生活の為、職業を転々としました。ものごころついた母は、そんな母(祖母)をみて仕事を手伝っていたようです。

何年か前に自宅(藤沢)に観光目的で招待した時、車窓から「この辺にも住んでいたのよ」と話してました。蒲田、大船・・・
そんなに住む場所を変えてたのか~?と話したのを覚えてます。
大変だったろうな~。

現在の居場所が大船の隣の藤沢で、職場が蒲田のとなりの多摩川・・・
これも何かの縁なのかな~。

お袋!親父の事は心配しないで、ちゃんと成仏してな~。

2011年8月18日木曜日

お盆休み


お盆で・・・
実家に向かってます。
久しぶりに新幹線乗ったら、
座席ごとに100Vのコンセントが付いてるのにビックリ(*_*)
さらに読書灯はあるし、電光掲示板は見やすくなったし、すごいなJR東日本!ハヤブサが脚光を浴びるなか、ヤマビコ等の既存車両にも進化が見えるのは凄いね。

今回の帰省は一泊二日、帰省と言っても正月から入院しているお袋のお見舞いと墓参り。
毎日お袋の看病をしている親父に、感謝の意味で、前にブログで紹介した「こちらまる特漁業部」で食事をもてなし。食べ掛けですが、写真をパチリ!

やはりここはうまいね~(^^♪

この舟盛りが2500円ぐらい。
鯛は目の前で板前さんがさばいたばかりなので、まだ動いておりました。
三陸の名産、ホヤです。嫌いな人が多いみたいだけど俺は大好き。
親父が宮城では一切収穫してない・・・と言ってたけど、どこ産のホヤなんだろうか?


おおきなキンキの煮付け!

松島に行く事が在れば、絶対に立ち寄ってみてください。
このお店仙台市内に数店舗、東京にも3店舗あるみたいです。値段は店舗によって違うと思いますが、新鮮ネタに違いはありません。ゼヒ!

こちらまる特漁業部

2011年7月11日月曜日

事件

事件はおこりました。
2日前、ヤフオクで購入したポケバイのエンジンを掛けようと、前かがみ姿勢でいたところ、新調したツナギのすべりが良すぎてか、胸ポケットからiPhone4が落下。見事にガラスが粉々になってしまいました。
こんな感じ(涙) ↑(これは壁紙で発見した画像で自分のではありません。)

会話しようにもガラスの破片が耳に刺さりそうで、気になって気になってどうにもならない状態です。

こんな時はネットです。”iPhone修理”で検索。
相当なヒット数です。同じ事で悩んでいる人が沢山いるのでしょう。
なかでも検索上位の関内にあるお店が価格的にも距離的にも良さそうです。
早速、確認の為、電話してみました。
対応も良く、ここに決定。

本日午前中に、会社には遅刻する?と告げ行って来ました(^^♪
お店の名はSMART、http://www.s-mart.fm/
横浜中区の相生町にあって県庁の近くです。隣にはコインパーキングがあり便利でした。
早速11階のお店へ。お店と言ってもマンションの一室といった感じです。

担当の方がとても親切丁寧に対応してくれ、アップルの店員も脱帽です。
ガラス(黒色)の交換は11,800円、前から気になっていた白色だといくら?と問いかけてみると、1,000円アップの12,800円。マジ?迷わず白にして下さい。1時間ちょっと近所のコーヒーショップで時間を潰し、再来店。
どうよ!良い感じじゃない(^^♪
黒だと高く感じたガラス交換も、白にすれば、交換したと思えば・・・ね?安く感じるのは俺だけ?
とにかくこのお店、お勧めです。

ポケバイ購入

最近、レーサー復活を夢見ております(^^♪
冗談はさておき、サーキットを走りたい!というのは事実。
遊び車のスターレットがしばらく眠っていたので、サーキットでブイブイいわしたろ~と思い、富士スピードウェイにライセンスの更新へ(2年ぶり)
その後足回りを購入したり、ステッカーをベタベタ貼りまくったり、
後はホイールとタイヤだな。と思い、連日ヤフオクを見ていると注目のオークション?とかでポケバイが100円スタートの記事。
面白そうだな~と覗いてみると、意外に人気は無く入札者がゼロ。マジ!100円で買えちゃうか!と早速入札!とりあえず2,000円(^^♪。

やはり甘くは無かった。翌日には高値更新。5,000円ぐらいならいいか!と思い再度入札。
待つこと3時間、見事にポケバイをゲットしたのでした。(^o^)丿
ところがこれには落とし穴が・・・
送料7,400円(涙) ゲゲ・・・総額12,400円やんけ。


代引きで届きました。(^^♪ でも12,400円なら安い安い・・・と言い聞かせながら早速組み立て。とは言ってもハンドルの調整とキャブの調整ぐらい。混合油をいれヨッコラショ。
バ・バ・バ・バ・バ・バ・バ・バ。オーかかったじゃん。レーシングカートのような甲高い音。これじゃ住民迷惑だな^_^;スイッチオフ。

いいじゃんね。安いよな~。会社の連中の同意を求めるように連呼しておりました。(^^♪

今度サーキットで遊ぼうっと。 弱冠48歳、頑張ります。

贅沢三昧

少々お金持ちの人なら、普通でしょ!って言われるかもしれませんが・・・
先日結婚記念日のお祝いにと、カミさんの父親がヴァンテアンクルーズ(東京湾クルーズ)とニューオオタニの宿泊券をプレゼントしてくれました。
勿論、そんな経験はないから、浮かれまくり(^^♪

この船は乗船だけでも可能だが、基本的にはランチディナーもしくは軽食つき。折角だからとカミさんがランチディナーをご馳走してくれました。(^^♪ 往復1時間のクルージング。
往路は食事、復路はデッキから東京湾を見学。
24時間体制になった羽田空港、滑走路があそこまで長いとは思いませんでした。

レインボーブリッジの下をくぐるときは、オーバーザレインボウの曲が流れます。
1時間のクルーズも終わり、赤坂方面へ。

毎日のように見ていたニューオオタニですが、泊まったことはありません。


ニューオオタニは本館とタワーに別れており、タワーの入り口はこんな感じ。
ここに辿り着くまで迷いに迷いました。
15時過ぎにチェックインし、少しの休憩。
夕方17時に予約してあった、タワーの最上階にある展望レストランに。
ここは360度回転する仕組みになっていて、1時間で一回転。震災のあとだけに回転する際の振動は辛いものがありました。
料理は全てバイキング方式で本格的な和食、洋食、中華、デザートが楽しめます。

日が暮れてくるとこんなおしゃれな空間に。余韻に浸る俺の横では、カミさんがケーキをこれぞとばかりに10個以上平らげておりました。(別腹・・・とか言いながら)

翌日は、JR東日本のフリーパスを利用して、仙台(日帰り)に。入院中のお袋には悪いけど、贅沢な2日間でした。


2011年5月19日木曜日

一ヶ月ぶりに、宮城の実家にきています。
写真は、奥松島の月浜、
小さな海水浴場だけど、水も綺麗で子供の頃からお気に入りの海水浴場でした。
前回は道路の寸断で行けなかったけど、今回は砂利道ながら、何とか行く事ができました。

シーズン時は、店頭で浮輪や焼き鳥売っていた商店街も跡形もない状態でした。
地域によっては、物凄いスピードで復興している場所もあれば、この場所のように全く手つかずの場所もあるのです。

友人が経営していた民宿も見るも無残な光景に。
はやく、あの綺麗な砂浜に戻る事を期待します。

2011年4月5日火曜日

被災地宮城に行ってきました。

震災はから約3週間の3月30日、31日に会社から休みをもらって被災地宮城に行ってきた。
交通の便が悪かったとは言え、今まで宮城に行けなかった・・いや行かなかった自分が情けない。

東北道は全て通れるようになり1泊もあれば十分、ということで今回は1人で行く事に。
宮城は食料や水よりも、ガソリン不足が深刻、父の車用に50リッターを持参。他に食料も持参した。
29日仕事が終わり、夜11時過ぎに帰宅。食事をして仮眠するが、目を覚ますと何と5時!エッ~!高速道路の深夜割引を利用するつもりだったが、その夢は打ち砕かれた(笑)
逆に都内の渋滞に巻き込まれてしまったら・・・2日間の貴重な休みが1日潰れてしまう。猛ダッシュで藤沢をあとにするが、自分の車のガソリンも気にしなければ・・・結果渋滞に巻き込まれる事もなく都内を通過、無事東北道に乗ることができた。

東北道に乗ってからは、自衛隊・県警・各企業の救援物資を運んだ車が多く、そんな光景を見ていると、なぜか自分も任務に向かう心境に!(^o^)丿
埼玉・群馬・栃木を抜け福島に入ると、道路状況が急に悪くなる。特に安積近辺は、道路の地割れなのか至るところに段差があり、応急的に補修している。周りの住宅をみると屋根にはブルーシートが!この辺も揺れが酷く瓦が飛んでしまったのだろう。
途中、復路用にガソリンを補給、昼前には無事松島に到着した。



松島は、思ったより被害は少なく、観光桟橋付近のお土産店が立ち並ぶ辺りで床上浸水、但し泥は真っ黒で泥の処理で大変なようだ。個人的な見解だが1ヶ月もすれば元の光景に戻りそうだ。

実家に到着し、早速父の車にガソリンを補給。かなり喜んでいる様子だった。それから直ぐに母の入院する病院へ、再会を果たすも特に笑顔もなく、少しやつれている。震災でショック状態とは言えないが落ち込んでいる様子だった。逆に息子(俺)の心配ばかりしていて、もっと早く来るべきだったと自分を恥じた。お袋との会話を終え実家に戻るが、病院の近所が多賀城市なので、どのくらいの被害なのか、実際に目で見てみたいと思って少し遠回りしてみた。



多賀城市産業道路を卸町方面へ向かうルートは、車関係の会社が多いので歩道などいたる所に水没した車が折り重なっている。悲惨な光景だ。
この辺がどのぐらいの津波か、youtubeで探してみたら凄い画像があった。



このイオン多賀城店は自分が走ったルート沿いにあるお店だ。もし撮影中にあの津波が来たら命を落としたかもということになる。恐ろしい。

翌日の朝、松島から車で10分ぐらいの東松島市にいってみた。場所は野蒜地区、フジTVの笠井さんが現地レポートで小学校を訪れた場所だ。この町は壊滅的な被害と報道された場所だ。



この町を見た瞬間、涙が止まらなくなった。この町は、夏になると海水浴場で賑わい、ウインドサーフィンも楽しめるちょっとしたリゾート地だ。小学校の頃から友達と自転車で出掛けては、海水浴を楽しんでいた。帰りは真っ黒に日焼けして自転車に乗るのも痛くて辛かったのを思い出す。よくある田舎の光景だ。海岸線には高い防波堤があった。子供の頃は”なんでこんな高いもの作るんだ?上るのが面倒だな~”と思っていた。しかしその防波堤も効果がなかった。一部は崩壊し、海水が未だに引いてない。
放心状態で自宅に戻り、父と再度、母が入院する病院へ向かう。母に野蒜の状況を説明しようかと思ったが、これ以上落ち込む姿は見たくないので、話は避けた。しばらくしたあと”またすぐに来るから”と伝え病院をあとにした。



帰りに、多賀城から荒浜のルートを通ってみた。ここはTVで200~300人の遺体があると報道された場所だ。宮城にいた時は、ここに来る機会はほとんだなかったので、あまり景色なる覚えがない場所だが、野蒜と同じような光景が広がっていた。話題になった荒浜は通行禁止になっていて警察が迂回を促していた。その後東北道に乗り宮城をあとにした。

生まれ育った宮城、しかも沿岸地域は親戚・知人・友人が多く、今回の震災で親を亡くした、家を流された人も多い。出来る限り宮城に足を運び復興に貢献したいと思う。

2011年3月22日火曜日

東日本大震災

悪夢の大震災から10日が過ぎました。
今回の震災で実家のある松島、両親が被災しました。
しばらく両親との連絡網が途絶え、とても心配でしたが、家も両親も無事だということがわかり、今現在ほっとしています。

30年ぐらい前かな~。僕が中学の頃、今回の震源地と同じ宮城県沖地震を経験しました。今回の震災とは比べものにならないほど規模は小さかったけど、あの時も多くの家屋が倒壊、線路・田んぼは波打つは、ライフラインが遮断、少なからず津波もあったと思います。町は孤立し、車で他の市町村に行けない状態がしばらく続きました。

また近いうちに三陸沖の地震が必ず来ると、地震研究者が予知していた矢先の出来事でした。
東京で揺れを感じた時、とっさに「絶対宮城だ!宮城がやばい!」とTVの速報よりも早く感じました。その後、宮城の栗原で震度7、この報道を聞いた瞬間、

「ただ事ではない。」

恐怖と両親が心配で、頭が真っ白になりながらも、父に電話。
当然つながらず、慌ててメールをしたところ、「大丈夫、余震が続いています。」と・・・
メールが打てる父親(76歳)で良かったと~とつくづく感じました。

その後、TVの情報を見て一方的にメールを送信!
「津波がきてるから高台に逃げて!」
「多賀城の石油コンビナートが炎上してるから気をつけて!」等々
そうこうしてるうちに、メールでの連絡もできなくなりました。

地震から3日目ぐらいに親戚と連絡が取れ、おじさん(父親)は元気です。と聞き再度一安心。
気掛りなのは、母が入院している病院も被災しており、電気は大丈夫なのか?薬は大丈夫なのか?と不安でした。幸い病院には自家発電があり、水道も井戸水があるらしく衛生的には問題が無い事を確認。母は今回の震災で相当な精神的なショックを受けており、電気が復旧した今でもTVは見ないそうです。TVで震災の事ばかり放映してるのは仕方ない事だと思いますが、早く元気になってほしいです。現在父親とは毎日、連絡を取れるほど、電波は改善されております。

津波は想定外とTVの報道がありますが、宮城の沿岸地域の人は津波は絶対くると過去の教訓から訓練等も行っており、わかっていたはずです。

ただ、「あれほどの津波がくるとは誰しもが思ってなかった」

そりゃそうですよね。過去に例がないのですから・・・
日本は地震・津波大国です。”TSUNAMI”が世界共通語になってるくらいですから。

これから復興に向けてどんどん動いていくと思いますが、国には、2度とこのような惨劇を生まないよう、今回被災した東北を初め関東、東海、近畿、九州の太平洋沿岸には津波の被害を最小限に食い止めるよう、波消し効果のある防波堤等、ハイテク機器を駆使して住民を守ってほしいと思います。でないと復興したとしても安心して住めません。比較的松島が被害が少なかったのは、沖合いにある数々の島があったからです。それを教訓にしてほしいと思います。(松島は死者0人だったと思います。)


今、日本の多くの人は以前のように海を見て癒されたり、勇気づけられたりする人はいないと思います。大げさかもしれませんが、それだけ今回の震災で海に恐怖を感じてしまっています。

地元松島では、未だにライフライン(水道)が途絶えてます。ガソリンの給油には300台の行列ができ、7時間並んで2,000円分しか入れられません。救援物資も勿論大事ですが、第二のライフラインと言えるガソリンの供給を、国・自治体には何とか早くお願いしたいと思います。

本日良い知らせがありました。
地元の仲間(東松島市)が無事だったと・・・
但し新築した家は1階は全て津波で浸かり、車は2台流され、未だにライフラインは全てダメだそうです。とりあえず安否が不明だったので、良かった良かった・・・とお互い連呼しました(ToT)/~~~

明日は仕事休み、実家の父に、少しでも良いものを食べさせてあげようと、築地に買出しに出かける予定です。

2011年2月22日火曜日

KARA広告

KARAの看板広告発見!分かりづらいけど、正面白い建物のうえです。
いいね〜(^O^☆♪

少女時代のCM(UHA味覚糖)もまもなく始まるようです。

マッキントッシュカーオーディオ

憧れのカーオーディオ、マッキントッシュを装着しました。・・・というのは冗談でiPadのアプリです。(^^♪
取引先の人に教えてもらって早速GET。GETと言っても無料です。かなり気に入ってます。夜は本物か?と思えるほど綺麗だし、高級感があります。
   

2011年2月11日金曜日

日本人は飢えてる?

明けオメ(前回)のブログからはや1ヶ月、時間が経つのが早いな~と思いつつも、こんなに長くブログをサボっていた自分のズボラさにあきれる。
という訳で、いきなり爆弾発言のタイトルだが、最近つくづく思うのである。
なんだろう?日本人は刺激を求めてる?とでもいうのだろうか・・・

実は先月韓国のアーティストが一同に集まったコンサートに行ってきた。

”SMTOWN LIVE in JAPAN"

カミサンに嫌々?連れられ、とは言ってもチケットの抽選は、40万分の4万、10人に1人の確立に当たったということで、こんなプレミアムチケットのライブを観てみたいという気持ちもあったのだが・・・

当日は、会社の休みと重なった為、早めに出掛け、例によって原宿のじゃんがらラーメンを食べた。普段赤坂のじゃんがらに行く機会が多いのだが、その味に慣れてるせいか、味がしょっぱく感じた。替え玉もして腹は万全!いざ代々木体育館へ↗(^^♪

なんだこれは?ある程度予想はしてたが、全て女・女・女・・・これほどまでとは・・・
会場入りし、席をみると、な・な・なんとアリーナ席ステージ前の2列目。こんなにいい席は、30年以上前にみた仙台での松田聖子以来だ^_^; 周りをみると近くに男は誰一人いない。見た感じ95%は女。恥ずかしいのなんの^_^; 地鳴りのような大歓声とともにオープニング。

エッ、誰?誰が出てくんの?
1人の女性が現れた。名前は72、ナツと呼ぶらしい。日本語で挨拶?ていうか日本人じゃん?韓国人ばかりかと思っていたが、日本人もいるんだね。あれほど大歓声だった会場が女性の登場となるとシーン・・・可愛そう。まったく・・そんなに韓国男がいいのか?もっと応援しろ~~~・・いBOSS。
続いてJ-Min、f(x)、KANGTA、SHINee、なかでもf(x)はメロディーが耳に残り、帰宅後itunesでミスターブギーをゲット。
そしていよいよ少女時代、オ~ヤベ~。これが噂のGGか~、足の美しさはさておき、なんか洗練されてるな~。踊りもうまいし息がぴったりで凄い。食い入るように見てました。
SHINeeやSUPER JUNIORの登場になると会場もMAX、うるせ~。

続いて、BOAの登場、あれだけ昔は人気があったのに、歓声は少なく俺はイライラモード。
俺もあと20歳若かったら「BOAちゃ~ん」とでも声を掛けたかったが、その勇気は無し。
でもちっちゃくて可愛かったなあ~。
アーティスト達のローテーションが行われ、ここまで時間にすると3時間以上、周りの女の子はオープニングからオールスタンディング。「頑張るな~」

いよいよ2人になった東方神起の登場だ。
さっきまでMAXと思われた黄色い歓声は嘘だった。歓声というより発狂だ^_^; うるせ~。
カミサンから刺激され多少の事は知っているが、こいつらも凄い。完成されている。韓国の男性ユニットは東方神起をお手本にしてるんだろうなと、うかがいしれる。
残念ながら大好きなKARAは、プロダクションが違うのであえなかったが、とにかく凄い人だった。

なぜこんなに人気があるのか?
女性に限らず、男性も同じなんだとおもう。
昔は、山本リンダに始まり、ピンクレディ、MAX、SPEED、安室奈美恵、浜崎あゆみ、倖田來未など周期をおいてお色気路線があったが、
最近はどうだろう。楚々られるアーティストは全くというほどいない。
しかも単独が目立ちグループが全くと言っていいほどいない。
それにひきかえ韓国はどうだろう。
いま日本でメジャーなのは、少女時代、KARAだが次期アーティストが星の数ほど用意されている。
機会があれば是非見て欲しい。T-ARA、Brown Eyed Girls、今回登場したf(x)、なんでもk-popをブランド化するために、国が支援しているとか・・・。
しかも曲調は、近隣国のヒットを見越したものではなく、ビルボード狙いを感じるのだ。
日本のプロダクションが時代を見据えて次のアーティストの用意があるのなら安心できるが、
用意が無いとしたら、KーPOPにチャートを独占されるのは時間の問題だろう。

2011年1月4日火曜日

明けましておめでとう御座います。

皆さん、あけおめ~ということで・・・
今年も宜しくお願いしま~す。

毎年の事ですが、仙台に帰省してきました。
今年は母が病気で、支度もままならず、かみさんがおせちを手配してくれました。始めてだな~、こんなリッチなおせちは。
正月は特に出歩く事無く、親戚の子供たちにお年玉を配り、3日間の滞在となりました。

母の病気が心配、回復を祈るばかりです。
3日のUターン帰省日、仙台駅でお土産を購入。笹かまは沢山あるけど、最近有名なのは”白鎌”(しらけん)美味しいよ~。

ラーメンが食べたくなり、初売りで賑わう仙台の中央通へ。


もう遅い時間だというのに、賑わっておりました。場所は名掛丁の天下一品ラーメンこむらさき。
仙台に居たころは国分町で飲んだ後に良く食べてたけど、最近はご無沙汰。前は国分町だけだったが、中央通にもお店を出したようで駅から近いのもあり、重い荷物を持ちつつ出掛けました。
天下一品ラーメンは今や全国にあるけど、仙台の天下一品ラーメンは”こむらさき”といって他の天下一品とこってり具合が全然違います。
例えば10人に紹介したとしたら3人は”無理~”と行って食べられないでしょう。
スープは鳥の骨まで溶け出したドロドロ系、例えるならシチューのようなドロドロスープに麺が入った感じ。これがたまらないんだな~。仙台にお出掛けの際は是非立ち寄ってみて!

結局、自宅に着いたのは午後10時、帰りの新幹線は仙台発だったのでゆったりと座って来れました(^^♪