一ヶ月ぶりに、宮城の実家にきています。
写真は、奥松島の月浜、
小さな海水浴場だけど、水も綺麗で子供の頃からお気に入りの海水浴場でした。
前回は道路の寸断で行けなかったけど、今回は砂利道ながら、何とか行く事ができました。
シーズン時は、店頭で浮輪や焼き鳥売っていた商店街も跡形もない状態でした。
地域によっては、物凄いスピードで復興している場所もあれば、この場所のように全く手つかずの場所もあるのです。
友人が経営していた民宿も見るも無残な光景に。
はやく、あの綺麗な砂浜に戻る事を期待します。
2011年5月19日木曜日
2011年4月5日火曜日
被災地宮城に行ってきました。
震災はから約3週間の3月30日、31日に会社から休みをもらって被災地宮城に行ってきた。
交通の便が悪かったとは言え、今まで宮城に行けなかった・・いや行かなかった自分が情けない。
東北道は全て通れるようになり1泊もあれば十分、ということで今回は1人で行く事に。
宮城は食料や水よりも、ガソリン不足が深刻、父の車用に50リッターを持参。他に食料も持参した。
29日仕事が終わり、夜11時過ぎに帰宅。食事をして仮眠するが、目を覚ますと何と5時!エッ~!高速道路の深夜割引を利用するつもりだったが、その夢は打ち砕かれた(笑)
逆に都内の渋滞に巻き込まれてしまったら・・・2日間の貴重な休みが1日潰れてしまう。猛ダッシュで藤沢をあとにするが、自分の車のガソリンも気にしなければ・・・結果渋滞に巻き込まれる事もなく都内を通過、無事東北道に乗ることができた。
東北道に乗ってからは、自衛隊・県警・各企業の救援物資を運んだ車が多く、そんな光景を見ていると、なぜか自分も任務に向かう心境に!(^o^)丿
埼玉・群馬・栃木を抜け福島に入ると、道路状況が急に悪くなる。特に安積近辺は、道路の地割れなのか至るところに段差があり、応急的に補修している。周りの住宅をみると屋根にはブルーシートが!この辺も揺れが酷く瓦が飛んでしまったのだろう。
途中、復路用にガソリンを補給、昼前には無事松島に到着した。
松島は、思ったより被害は少なく、観光桟橋付近のお土産店が立ち並ぶ辺りで床上浸水、但し泥は真っ黒で泥の処理で大変なようだ。個人的な見解だが1ヶ月もすれば元の光景に戻りそうだ。
実家に到着し、早速父の車にガソリンを補給。かなり喜んでいる様子だった。それから直ぐに母の入院する病院へ、再会を果たすも特に笑顔もなく、少しやつれている。震災でショック状態とは言えないが落ち込んでいる様子だった。逆に息子(俺)の心配ばかりしていて、もっと早く来るべきだったと自分を恥じた。お袋との会話を終え実家に戻るが、病院の近所が多賀城市なので、どのくらいの被害なのか、実際に目で見てみたいと思って少し遠回りしてみた。
多賀城市産業道路を卸町方面へ向かうルートは、車関係の会社が多いので歩道などいたる所に水没した車が折り重なっている。悲惨な光景だ。
この辺がどのぐらいの津波か、youtubeで探してみたら凄い画像があった。
このイオン多賀城店は自分が走ったルート沿いにあるお店だ。もし撮影中にあの津波が来たら命を落としたかもということになる。恐ろしい。
翌日の朝、松島から車で10分ぐらいの東松島市にいってみた。場所は野蒜地区、フジTVの笠井さんが現地レポートで小学校を訪れた場所だ。この町は壊滅的な被害と報道された場所だ。
この町を見た瞬間、涙が止まらなくなった。この町は、夏になると海水浴場で賑わい、ウインドサーフィンも楽しめるちょっとしたリゾート地だ。小学校の頃から友達と自転車で出掛けては、海水浴を楽しんでいた。帰りは真っ黒に日焼けして自転車に乗るのも痛くて辛かったのを思い出す。よくある田舎の光景だ。海岸線には高い防波堤があった。子供の頃は”なんでこんな高いもの作るんだ?上るのが面倒だな~”と思っていた。しかしその防波堤も効果がなかった。一部は崩壊し、海水が未だに引いてない。
放心状態で自宅に戻り、父と再度、母が入院する病院へ向かう。母に野蒜の状況を説明しようかと思ったが、これ以上落ち込む姿は見たくないので、話は避けた。しばらくしたあと”またすぐに来るから”と伝え病院をあとにした。
帰りに、多賀城から荒浜のルートを通ってみた。ここはTVで200~300人の遺体があると報道された場所だ。宮城にいた時は、ここに来る機会はほとんだなかったので、あまり景色なる覚えがない場所だが、野蒜と同じような光景が広がっていた。話題になった荒浜は通行禁止になっていて警察が迂回を促していた。その後東北道に乗り宮城をあとにした。
生まれ育った宮城、しかも沿岸地域は親戚・知人・友人が多く、今回の震災で親を亡くした、家を流された人も多い。出来る限り宮城に足を運び復興に貢献したいと思う。
交通の便が悪かったとは言え、今まで宮城に行けなかった・・いや行かなかった自分が情けない。
東北道は全て通れるようになり1泊もあれば十分、ということで今回は1人で行く事に。
宮城は食料や水よりも、ガソリン不足が深刻、父の車用に50リッターを持参。他に食料も持参した。
29日仕事が終わり、夜11時過ぎに帰宅。食事をして仮眠するが、目を覚ますと何と5時!エッ~!高速道路の深夜割引を利用するつもりだったが、その夢は打ち砕かれた(笑)
逆に都内の渋滞に巻き込まれてしまったら・・・2日間の貴重な休みが1日潰れてしまう。猛ダッシュで藤沢をあとにするが、自分の車のガソリンも気にしなければ・・・結果渋滞に巻き込まれる事もなく都内を通過、無事東北道に乗ることができた。
東北道に乗ってからは、自衛隊・県警・各企業の救援物資を運んだ車が多く、そんな光景を見ていると、なぜか自分も任務に向かう心境に!(^o^)丿
埼玉・群馬・栃木を抜け福島に入ると、道路状況が急に悪くなる。特に安積近辺は、道路の地割れなのか至るところに段差があり、応急的に補修している。周りの住宅をみると屋根にはブルーシートが!この辺も揺れが酷く瓦が飛んでしまったのだろう。
途中、復路用にガソリンを補給、昼前には無事松島に到着した。
松島は、思ったより被害は少なく、観光桟橋付近のお土産店が立ち並ぶ辺りで床上浸水、但し泥は真っ黒で泥の処理で大変なようだ。個人的な見解だが1ヶ月もすれば元の光景に戻りそうだ。
実家に到着し、早速父の車にガソリンを補給。かなり喜んでいる様子だった。それから直ぐに母の入院する病院へ、再会を果たすも特に笑顔もなく、少しやつれている。震災でショック状態とは言えないが落ち込んでいる様子だった。逆に息子(俺)の心配ばかりしていて、もっと早く来るべきだったと自分を恥じた。お袋との会話を終え実家に戻るが、病院の近所が多賀城市なので、どのくらいの被害なのか、実際に目で見てみたいと思って少し遠回りしてみた。
多賀城市産業道路を卸町方面へ向かうルートは、車関係の会社が多いので歩道などいたる所に水没した車が折り重なっている。悲惨な光景だ。
この辺がどのぐらいの津波か、youtubeで探してみたら凄い画像があった。
このイオン多賀城店は自分が走ったルート沿いにあるお店だ。もし撮影中にあの津波が来たら命を落としたかもということになる。恐ろしい。
翌日の朝、松島から車で10分ぐらいの東松島市にいってみた。場所は野蒜地区、フジTVの笠井さんが現地レポートで小学校を訪れた場所だ。この町は壊滅的な被害と報道された場所だ。
この町を見た瞬間、涙が止まらなくなった。この町は、夏になると海水浴場で賑わい、ウインドサーフィンも楽しめるちょっとしたリゾート地だ。小学校の頃から友達と自転車で出掛けては、海水浴を楽しんでいた。帰りは真っ黒に日焼けして自転車に乗るのも痛くて辛かったのを思い出す。よくある田舎の光景だ。海岸線には高い防波堤があった。子供の頃は”なんでこんな高いもの作るんだ?上るのが面倒だな~”と思っていた。しかしその防波堤も効果がなかった。一部は崩壊し、海水が未だに引いてない。
放心状態で自宅に戻り、父と再度、母が入院する病院へ向かう。母に野蒜の状況を説明しようかと思ったが、これ以上落ち込む姿は見たくないので、話は避けた。しばらくしたあと”またすぐに来るから”と伝え病院をあとにした。
帰りに、多賀城から荒浜のルートを通ってみた。ここはTVで200~300人の遺体があると報道された場所だ。宮城にいた時は、ここに来る機会はほとんだなかったので、あまり景色なる覚えがない場所だが、野蒜と同じような光景が広がっていた。話題になった荒浜は通行禁止になっていて警察が迂回を促していた。その後東北道に乗り宮城をあとにした。
生まれ育った宮城、しかも沿岸地域は親戚・知人・友人が多く、今回の震災で親を亡くした、家を流された人も多い。出来る限り宮城に足を運び復興に貢献したいと思う。
2011年3月22日火曜日
東日本大震災
悪夢の大震災から10日が過ぎました。
今回の震災で実家のある松島、両親が被災しました。
しばらく両親との連絡網が途絶え、とても心配でしたが、家も両親も無事だということがわかり、今現在ほっとしています。
30年ぐらい前かな~。僕が中学の頃、今回の震源地と同じ宮城県沖地震を経験しました。今回の震災とは比べものにならないほど規模は小さかったけど、あの時も多くの家屋が倒壊、線路・田んぼは波打つは、ライフラインが遮断、少なからず津波もあったと思います。町は孤立し、車で他の市町村に行けない状態がしばらく続きました。
また近いうちに三陸沖の地震が必ず来ると、地震研究者が予知していた矢先の出来事でした。
東京で揺れを感じた時、とっさに「絶対宮城だ!宮城がやばい!」とTVの速報よりも早く感じました。その後、宮城の栗原で震度7、この報道を聞いた瞬間、
「ただ事ではない。」
恐怖と両親が心配で、頭が真っ白になりながらも、父に電話。
当然つながらず、慌ててメールをしたところ、「大丈夫、余震が続いています。」と・・・
メールが打てる父親(76歳)で良かったと~とつくづく感じました。
その後、TVの情報を見て一方的にメールを送信!
「津波がきてるから高台に逃げて!」
「多賀城の石油コンビナートが炎上してるから気をつけて!」等々
そうこうしてるうちに、メールでの連絡もできなくなりました。
地震から3日目ぐらいに親戚と連絡が取れ、おじさん(父親)は元気です。と聞き再度一安心。
気掛りなのは、母が入院している病院も被災しており、電気は大丈夫なのか?薬は大丈夫なのか?と不安でした。幸い病院には自家発電があり、水道も井戸水があるらしく衛生的には問題が無い事を確認。母は今回の震災で相当な精神的なショックを受けており、電気が復旧した今でもTVは見ないそうです。TVで震災の事ばかり放映してるのは仕方ない事だと思いますが、早く元気になってほしいです。現在父親とは毎日、連絡を取れるほど、電波は改善されております。
津波は想定外とTVの報道がありますが、宮城の沿岸地域の人は津波は絶対くると過去の教訓から訓練等も行っており、わかっていたはずです。
ただ、「あれほどの津波がくるとは誰しもが思ってなかった」
そりゃそうですよね。過去に例がないのですから・・・
日本は地震・津波大国です。”TSUNAMI”が世界共通語になってるくらいですから。
これから復興に向けてどんどん動いていくと思いますが、国には、2度とこのような惨劇を生まないよう、今回被災した東北を初め関東、東海、近畿、九州の太平洋沿岸には津波の被害を最小限に食い止めるよう、波消し効果のある防波堤等、ハイテク機器を駆使して住民を守ってほしいと思います。でないと復興したとしても安心して住めません。比較的松島が被害が少なかったのは、沖合いにある数々の島があったからです。それを教訓にしてほしいと思います。(松島は死者0人だったと思います。)
今、日本の多くの人は以前のように海を見て癒されたり、勇気づけられたりする人はいないと思います。大げさかもしれませんが、それだけ今回の震災で海に恐怖を感じてしまっています。
地元松島では、未だにライフライン(水道)が途絶えてます。ガソリンの給油には300台の行列ができ、7時間並んで2,000円分しか入れられません。救援物資も勿論大事ですが、第二のライフラインと言えるガソリンの供給を、国・自治体には何とか早くお願いしたいと思います。
本日良い知らせがありました。
地元の仲間(東松島市)が無事だったと・・・
但し新築した家は1階は全て津波で浸かり、車は2台流され、未だにライフラインは全てダメだそうです。とりあえず安否が不明だったので、良かった良かった・・・とお互い連呼しました(ToT)/~~~
明日は仕事休み、実家の父に、少しでも良いものを食べさせてあげようと、築地に買出しに出かける予定です。
今回の震災で実家のある松島、両親が被災しました。
しばらく両親との連絡網が途絶え、とても心配でしたが、家も両親も無事だということがわかり、今現在ほっとしています。
30年ぐらい前かな~。僕が中学の頃、今回の震源地と同じ宮城県沖地震を経験しました。今回の震災とは比べものにならないほど規模は小さかったけど、あの時も多くの家屋が倒壊、線路・田んぼは波打つは、ライフラインが遮断、少なからず津波もあったと思います。町は孤立し、車で他の市町村に行けない状態がしばらく続きました。
また近いうちに三陸沖の地震が必ず来ると、地震研究者が予知していた矢先の出来事でした。
東京で揺れを感じた時、とっさに「絶対宮城だ!宮城がやばい!」とTVの速報よりも早く感じました。その後、宮城の栗原で震度7、この報道を聞いた瞬間、
「ただ事ではない。」
恐怖と両親が心配で、頭が真っ白になりながらも、父に電話。
当然つながらず、慌ててメールをしたところ、「大丈夫、余震が続いています。」と・・・
メールが打てる父親(76歳)で良かったと~とつくづく感じました。
その後、TVの情報を見て一方的にメールを送信!
「津波がきてるから高台に逃げて!」
「多賀城の石油コンビナートが炎上してるから気をつけて!」等々
そうこうしてるうちに、メールでの連絡もできなくなりました。
地震から3日目ぐらいに親戚と連絡が取れ、おじさん(父親)は元気です。と聞き再度一安心。
気掛りなのは、母が入院している病院も被災しており、電気は大丈夫なのか?薬は大丈夫なのか?と不安でした。幸い病院には自家発電があり、水道も井戸水があるらしく衛生的には問題が無い事を確認。母は今回の震災で相当な精神的なショックを受けており、電気が復旧した今でもTVは見ないそうです。TVで震災の事ばかり放映してるのは仕方ない事だと思いますが、早く元気になってほしいです。現在父親とは毎日、連絡を取れるほど、電波は改善されております。
津波は想定外とTVの報道がありますが、宮城の沿岸地域の人は津波は絶対くると過去の教訓から訓練等も行っており、わかっていたはずです。
ただ、「あれほどの津波がくるとは誰しもが思ってなかった」
そりゃそうですよね。過去に例がないのですから・・・
日本は地震・津波大国です。”TSUNAMI”が世界共通語になってるくらいですから。
これから復興に向けてどんどん動いていくと思いますが、国には、2度とこのような惨劇を生まないよう、今回被災した東北を初め関東、東海、近畿、九州の太平洋沿岸には津波の被害を最小限に食い止めるよう、波消し効果のある防波堤等、ハイテク機器を駆使して住民を守ってほしいと思います。でないと復興したとしても安心して住めません。比較的松島が被害が少なかったのは、沖合いにある数々の島があったからです。それを教訓にしてほしいと思います。(松島は死者0人だったと思います。)
今、日本の多くの人は以前のように海を見て癒されたり、勇気づけられたりする人はいないと思います。大げさかもしれませんが、それだけ今回の震災で海に恐怖を感じてしまっています。
地元松島では、未だにライフライン(水道)が途絶えてます。ガソリンの給油には300台の行列ができ、7時間並んで2,000円分しか入れられません。救援物資も勿論大事ですが、第二のライフラインと言えるガソリンの供給を、国・自治体には何とか早くお願いしたいと思います。
本日良い知らせがありました。
地元の仲間(東松島市)が無事だったと・・・
但し新築した家は1階は全て津波で浸かり、車は2台流され、未だにライフラインは全てダメだそうです。とりあえず安否が不明だったので、良かった良かった・・・とお互い連呼しました(ToT)/~~~
明日は仕事休み、実家の父に、少しでも良いものを食べさせてあげようと、築地に買出しに出かける予定です。
2011年2月22日火曜日
マッキントッシュカーオーディオ
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