8月以来の投稿になります。大分期間が空いてしまいましたが、10月15日母が他界いたしました。
トータル5年にわたる闘病生活、治療の甲斐もなく天国へと旅立ちました。
「お疲れ様、そして有難う」
四十九日の法要も終わり、無事仏になったことを確信し、ブログを再開することになりました。
母の生涯の一場面を少し話します。
母は、祖母のお腹にいた時に、父親をなくし幼少期は大変苦労したようです。
祖父と祖母は同郷(宮城)、二人とも田舎町で育ち幼馴染。
お見合いが普通だった当時に大恋愛の末、めでたく結婚、そして東京へ赴任。
祖父は今世間を騒がせているW会長のいるY新聞社に勤務。
二人で新居を構え、東京の亀戸付近でに住んでいたそうです。
祖父は昔でいうハイカラな人?で、バイオリンを嗜んでいたそうです。
昔、俺がギターをはじめた時に、「おじいちゃんの血筋かね~」と母が話してました。
また、二人は今で言うラブラブ?で御近所が羨む夫婦だったとか・・・
そんなある日、Y新聞社の会社行事で千葉に海水浴に出掛けた祖父は、会社の同僚と遊びたい気持ちを抑え、アサリを愛する祖母の為に一生懸命採っていたそうです。
祖母は足が怪我しないようにと新しい足袋を用意し持たせました。
当時海水浴場には、馬洗いをする場所があってそこだけ深くなっていたようで、足を滑らせて溺れて命を落としてしまったのです。
警察や会社の同僚が必死の思いで捜したようですが見つかりません。
結局、1週間後に祖母の願いも叶わず遺体が見つかったそうです。
溺死なので誰なのかもわからない・・・
祖父に間違いないと判断したのは、足袋を履いていたこと、そして網に入ったアサリが腕に巻きついていた事だそうです。
祖母はお腹に母がいるなか、どんな気持ちだったのか・・・
祖母にはとても可愛がってもらいました。祖母は、俺とおなじ12月16日生まれ、命日は6月12日、今から10年ほど前にやはり病気で亡くなりました。
今頃、天国で叶わなかった親子(祖父・祖母・母)の団らんを楽しんでいるでしょう。
祖父が亡くなったあと、実家(嫁ぎ先)から宮城に帰って来いと説得されたようですが、祖母は断固として反対し、東京に残りました。
その後、母が生まれ祖母は生活の為、職業を転々としました。ものごころついた母は、そんな母(祖母)をみて仕事を手伝っていたようです。
何年か前に自宅(藤沢)に観光目的で招待した時、車窓から「この辺にも住んでいたのよ」と話してました。蒲田、大船・・・
そんなに住む場所を変えてたのか~?と話したのを覚えてます。
大変だったろうな~。
現在の居場所が大船の隣の藤沢で、職場が蒲田のとなりの多摩川・・・
これも何かの縁なのかな~。
お袋!親父の事は心配しないで、ちゃんと成仏してな~。