悪夢の大震災から10日が過ぎました。
今回の震災で実家のある松島、両親が被災しました。
しばらく両親との連絡網が途絶え、とても心配でしたが、家も両親も無事だということがわかり、今現在ほっとしています。
30年ぐらい前かな~。僕が中学の頃、今回の震源地と同じ宮城県沖地震を経験しました。今回の震災とは比べものにならないほど規模は小さかったけど、あの時も多くの家屋が倒壊、線路・田んぼは波打つは、ライフラインが遮断、少なからず津波もあったと思います。町は孤立し、車で他の市町村に行けない状態がしばらく続きました。
また近いうちに三陸沖の地震が必ず来ると、地震研究者が予知していた矢先の出来事でした。
東京で揺れを感じた時、とっさに「絶対宮城だ!宮城がやばい!」とTVの速報よりも早く感じました。その後、宮城の栗原で震度7、この報道を聞いた瞬間、
「ただ事ではない。」
恐怖と両親が心配で、頭が真っ白になりながらも、父に電話。
当然つながらず、慌ててメールをしたところ、「大丈夫、余震が続いています。」と・・・
メールが打てる父親(76歳)で良かったと~とつくづく感じました。
その後、TVの情報を見て一方的にメールを送信!
「津波がきてるから高台に逃げて!」
「多賀城の石油コンビナートが炎上してるから気をつけて!」等々
そうこうしてるうちに、メールでの連絡もできなくなりました。
地震から3日目ぐらいに親戚と連絡が取れ、おじさん(父親)は元気です。と聞き再度一安心。
気掛りなのは、母が入院している病院も被災しており、電気は大丈夫なのか?薬は大丈夫なのか?と不安でした。幸い病院には自家発電があり、水道も井戸水があるらしく衛生的には問題が無い事を確認。母は今回の震災で相当な精神的なショックを受けており、電気が復旧した今でもTVは見ないそうです。TVで震災の事ばかり放映してるのは仕方ない事だと思いますが、早く元気になってほしいです。現在父親とは毎日、連絡を取れるほど、電波は改善されております。
津波は想定外とTVの報道がありますが、宮城の沿岸地域の人は津波は絶対くると過去の教訓から訓練等も行っており、わかっていたはずです。
ただ、「あれほどの津波がくるとは誰しもが思ってなかった」
そりゃそうですよね。過去に例がないのですから・・・
日本は地震・津波大国です。”TSUNAMI”が世界共通語になってるくらいですから。
これから復興に向けてどんどん動いていくと思いますが、国には、2度とこのような惨劇を生まないよう、今回被災した東北を初め関東、東海、近畿、九州の太平洋沿岸には津波の被害を最小限に食い止めるよう、波消し効果のある防波堤等、ハイテク機器を駆使して住民を守ってほしいと思います。でないと復興したとしても安心して住めません。比較的松島が被害が少なかったのは、沖合いにある数々の島があったからです。それを教訓にしてほしいと思います。(松島は死者0人だったと思います。)
今、日本の多くの人は以前のように海を見て癒されたり、勇気づけられたりする人はいないと思います。大げさかもしれませんが、それだけ今回の震災で海に恐怖を感じてしまっています。
地元松島では、未だにライフライン(水道)が途絶えてます。ガソリンの給油には300台の行列ができ、7時間並んで2,000円分しか入れられません。救援物資も勿論大事ですが、第二のライフラインと言えるガソリンの供給を、国・自治体には何とか早くお願いしたいと思います。
本日良い知らせがありました。
地元の仲間(東松島市)が無事だったと・・・
但し新築した家は1階は全て津波で浸かり、車は2台流され、未だにライフラインは全てダメだそうです。とりあえず安否が不明だったので、良かった良かった・・・とお互い連呼しました(ToT)/~~~
明日は仕事休み、実家の父に、少しでも良いものを食べさせてあげようと、築地に買出しに出かける予定です。